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2015年12月11日金曜日

共依存

共依存で依存相手がいなくなると、違う依存相手を探し、また共依存になる。

それに気が付いて自分から抜け出したい場合、何度も何度も引き戻される。

とても苦しい。

今のところ、何がベストなのかがわからない。
勝手に涙が出てくる。

依存はよくないよ。

うん。

2015年8月8日土曜日

怒り

自分の思い通りに人が動いて欲しいタイプの方々

「やって欲しい」
事は言葉にせず
「やってくれない」...
事を言葉に発する


「やってくれない」
をベースにした
「やって」
「やりなさい」
「何でやらない」
「やるべきだ」
は“怒り”に満ちあふれている

2015年8月1日土曜日

暗闇

苦しくて
苦しくて

もがいて
もがいて

かすかな

光が
うっすらと

見えてきた

ここ数日

2015年1月7日水曜日

欲

物欲、支配欲、金欲…

欲のない世界になればいいと想っていたのだけれども

一つクリアされた課題があったとしたら、その次を求めている自分がいて、それは正に「欲」な訳で、「欲望」とか「強欲」とか「欲求」とか、なんか嫌らしい言葉に感じていたのだけど、自分が「欲」の塊なのか?

昨日、電話で話したお友達は人間だから「欲」があるのだと言っていた。


Wikipediaに興味深い文章が…

心理・社会的な欲求

ヒトは群居性の動物であり、また高度な思考力を持つために、社会的に認められたい、知識を満足させたい、他者を満足させたい、というより高次な欲求がある。また、欲求の内容は、後天的に身につくものであり、社会や文化の影響が大きいという特徴が見られる。


欲にも種類があって、OKな欲とNGな欲、欲も自分の一部として受け入れるのがBESTなのかな?

2014年8月23日土曜日

悩み

自分では解決できない事があって、解決できなくても覚悟を決めなければいけない事がある時、誰かに話をしたり、相談したり、ヒントをもらったりした場合。

今までの自分だったら罪悪感に苛まれるのだけれども、自分で解決するのが基本だとしたら、その話す・相談する・ヒントをもらうは、逃げになるのか?

現在の目の前を生きるが最低条件だとしたら、先の事を考える自体が間違っている…も~悩ましい。

2014年8月14日木曜日

言葉

今までの人生のほとんどを感情を抑制していたので(特に喜怒哀楽の喜と楽)、言葉がうまく相手に伝えられなくて、考えてから話すことが習慣で、前の旦那さん一家に話す時に間があると結構指摘されていて、最近その原因も全てが感情の抑制だったのがよく分かったのだけど…

現在は言葉が一人歩きしてポンポン出てきて電話だったりメールだったり想いのままに相手に伝えたりすると、後々何を言ったのか想い出せなかったりすることがしばしば。自分の想いを優先すべきも、覚えていないって…失礼極まりない。かと言ってよく考えて話すと元の木阿弥だし、いったい皆どうしているのだろうか。きっとそんな事は考えないのだろうな~考えすぎなんだろうな~でも~

2014年8月5日火曜日

断わる

相手により断わることに不安と恐怖を感じてしまう自分がいた。
分かってはいたけれども、いい加減このスパイラルを抜けださないと。

2014年7月25日金曜日

チャレンジ

去年から多くの人から頂いた言葉を整理すると、人に裏切られる不安と恐怖を乗り越えなければならない。不安と恐怖がある為に自分自身に「嘘」をついて誤魔化す習慣があるみたい。トラウマ?習慣?人に対する不安と恐怖を乗り越えたなら本気で「愛」を表現できるのだ。

今日、麻紐のブレスレットが切れた。
先日、購入したマヤ歴のカレンダーは偶然にも明日7月26日(土)が新年。

何かが変化しスタートする気がしてならない。

ちゃんと自分と向き合わなければ。
「嘘」はいけないね。

2014年7月22日火曜日

課題

神様は必ず乗り越えられる課題を本人に与えていると聞くけれども、春から怒涛に押し寄せる自分との対話の課題、周辺環境の課題、仕事の課題、非常に重くのしかかり、クリアしても波のように次から次へと押し寄せてくるので消耗が激しかったりする。ぐるぐるしてます。

2013年11月30日土曜日

心

感情を置いてきぼりにしないよう努力はじめてから心が楽になってきました。
プライベートも仕事も。

自分の努力とは別で、どうしても心から会話を出来ない人もいます。
プライベートも仕事も。

会話を出来ない人に言ってもしょうがないと思って、感情を閉じ込めると、必ず心が叫びだします。そして翌日、携帯電話を自宅に忘れて取りに帰るという無駄な脳みそを使い、無駄な時間と、無駄なガソリンを使ってしまいます。

最近、このような出来事ばかり。
私の次のステップアップの課題なんだろうと覚悟は決めるのですが、どうも心がモヤモヤしてます。

感情の処理方法のヒントは必ずあるはずなんだけどな!

2013年9月15日日曜日

こだわり

八百屋 お散歩の内装工事が9月5日に終わり、9月12日に開店しました。
間、一週間。
これ、かなり無理がありました。

でもでも、どうしてもこの日付にしたかったのです。
なので告知もしている時間もありませんでした。

去年の9月5日に私はクラスで一足お先に職業訓練校の物流管理実務課を卒業しました。
そして9月12日に沖縄へ旅立ちました。

私の第二の人生はここから始まったと言っても過言ではありません。
物流管理実務課の経験も、その時に気付かされた精神論も、沖縄へ向かった勇気や行動も、大安とかに関係なくこの日にしたい!!ってこだわりでした。

沖縄に向かった時点では、八百屋さんを開くなんて考えてもいなかった。
ただただ過酷な沖縄の大地で無農薬のフルーツをどういう風に作っているのだろうって興味本位。そして農業研修生の受け入れ体制のできていない場所で修業してみたかった。
去年の8月の旅行で、偶然に旅行と台風がかぶってスケジュールに余裕を持っていたら美ら海水族館の帰り道に空き時間ができた都合で無農薬チェックしていた「かのんの森」の森谷さんに連絡。数時間後に嘉手納で合流。

沖縄から帰り、農業手伝いたいってラブメールするも森谷さんは戸惑いから返信がなく、電話をかけてごり押ししました(笑)あれが昨日のことの様に思い出す。

沖縄で友達も出来た。
沖縄からブログやSNSで「八百屋 お散歩」を応援してくれた。
涙が出た。ありがとう。

オープン数日前まで野菜の仕入先も決まってなかった。相当変な汗かいた。直前なのに快く取引してくれた卸の社長さんと農家さん。あたたかい。ありがたい。

勝手気ままにオープンしてしまったけど、応援してくれてありがとう!
楽しみながら頑張ります♪

そしてお散歩がてら遊びに来てください☆

2013年8月21日水曜日

言葉と心の壁

育てられた環境や日常生活で言葉の暴力にあっているとそれが当たり前の生活になって、言葉で自分が傷つかないように心の壁を作ります。

当時は心の壁を作るしか方法がありませんでした。

壁を作ったまま社会人になります。

自分の常識は他人の非常識。
大人ぶって強がっている自分を社会は受け入れてくれません。

大人たちは常識がないとか新人類とか、心をモミモミしてきます。
何が正しくて何が間違っているのか丁寧に説明してくれないと全く分かりません。

大人になっても心の無い言葉の暴力を言う人は沢山います。

その言葉に腹立ち、怒り、悲しみ、傷つきます。

私が自分の心を見つめ直すまで、心の壁がある頃は、他人の痛み、悲しみの気持ちが全く理解できませんでした。理解する振りは出来ていましたが…なので人の辛い話を聞いたとしても相手に上手い言葉をかけられませんでした。


お店を始めるにあたり、人見知りの私が沢山の人と会話をしました。(すごく人見知りなんですよ本当は)

経営の難しさを話してくれる方、儲けの話をする方、儲からない話をする方、痛い目にあえばいいと言う方、励ましてくれる方、あなたから野菜を売りたい意志が伝わってこないと言う方、応援してくれる方、お互いに頑張りましょうと握手をしようと言う方、手伝えることがあればと電話番号をくれた方、店の案内を置きたいと言う方、あなたにならうちの商品を扱って欲しいと言う方、お店に行くと言う方、楽しみだと言う方、他大勢。

大人だって十人十色。
皆様のお言葉ありがたく頂きます。

切羽詰って余裕がなかったり、表面だけで見て聞いて相手を下げ寸だり、フィーリングで好感持ってくれたり、相互関係で自分を高めたり、心から応援したり。声掛けの言葉で、相手に心の壁があるのかどうかが分かるようになってきました。

心の壁がある方の壁は、家族でも友人でも他人でも取り除くことが出来ません。無理なんです。自分が、変わりたい、変える、変わる、しかないのです。

生意気ですみません。

言葉の暴力より、
腹立ったり怒ることよりも、
悲しみや傷つきを癒し、
一緒に笑い、楽しみ、喜び、嬉しいを、そしてお店を始めるにあたり「美味しい」を沢山の人とこれから共有していきたいです。

その先には楽しい毎日があると信じています☆

2013年6月22日土曜日

心の境界線(バウンダリー)2

全497ページ読み終わりました。
境界線の話はスイスイ入ってきたのですが、宗教的な聖書と絡めての話になると全く理解がし難くなかなか先に進めなかったです。逆を言うとキリスト教信者の方はとても分かりやすい話なのではないかと思います。

はじめに境界線(パウンダリー)というのは
自分の責任と他人の責任の領域の境界線
のことです。日本人特有の曖昧さもあり、問題の根っこは深かったりします。この境界線、自分を取り巻く人間関係が八方塞がりのようであっても、例えば他人の態度や行動が原因で生じた怒りや不安等の感情も、他人のせいにするのではなく(相手を変えることではなく)自分を変えることで解決しようとするのです。そうすることで、共に成長できる人間関係の構築が可能となります。

私は独学で境界線を勉強し、自分で設定し、実行したために家族からとてつもない反発を受けて、心が折れそうになりました。本に書いてありましたが、必ず抵抗に合います。毎日、楽しくて幸せな私を家族は精神的におかしくなったと捉えられたのです。お陰様で、現在は一般的な家族の関係になりました。一方的な意見や話でなく、お互いに確認したり、話しが出来るようになりました。以前の支配的な関係にならないように防御はしていますが、今の関係は私にとって安心できる家族になりました。

・境界線と家族
・境界線と友人
・境界線と夫婦
・境界線と子供
・境界線と仕事
・境界線と自分
(・境界線と神)

心の境界線をインターネットで検索をかけている人がいたとしたら、境界線を知りたい自分がいます。それは大きな第一歩です。そして境界線の本を手に取り心で読むとします。もし理解できたとしたら第二歩です。そして少しずつ実行します第三歩。
一気でなく少しずつがポイントです。その実行する相手は、【〇愛に満ちた支援的な人】にして下さい。決して【×1:批判的で保護者のようになる人】や【×2:救助隊】に実行しないで下さい。
1の場合、その人が失敗すると「だから言ったでしょう。」とか「この経験から何を学んだの?」ということを言います。批判や支配です。2の場合、その人を苦しみから助けてあげたいという衝動に譲歩し、助けることは愛ではなく支配に変わります。

本も教科書も先生の言葉もヒントであって、理解するのは答えを出すのは自分です。

皆が健全な境界線をもつときっと世の中がもっともっと明るい未来が待ってるでしょう。楽しみだな~♪

本の解説になっとらん(ー_ー)!!

2013年6月21日金曜日

アメリカインディアンの教え

古本カフェで出会った本「アメリカインディアンの教え」

親子の関係性は世界共通なんだ。
悩みも世界共通なんだ。
同じ苦しみを次の世代に味あわせてはいけない。

高度経済成長期に地位や名誉やお金を優先した団塊世代の多くの人々。「良い大学出て、良い会社に入る」が成功とされた。勝ち組?負け組?心は置いてきていませんか?

第一章 批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします。

第二章 敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います

第三章 ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります

第四章 ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります

第五章 心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります

第六章 はげましを受けて育った子は自信を持ちます

第七章 ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります

第八章 公明正大な中で育った子は正義感を持ちます

第九章 思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます

第十章 人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします

第十一章 仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます

日本の父は強いか? 第五章

 今までの日本は、社会が父親を守っていたところがあります。社会が父親に威厳を与えていたのであって、父親が個人として威厳を持っていたわけではないのです。父親が生身の一人の男として家族から尊敬を勝ち得ていたのではないでしょう。誰が社長になっても社長は社長であるように、誰が父親になっても、親は父親であるから尊敬されていたのではないでしょうか。
 ~今、父親は自分の考えで息子と対決しなければなりません。~自分に最も近い人間に、生身の人間として対決できるかどうかということが、人間の個人としての強さなのです。その時自分を守ってくれるものはなにもありません。父権制度もないし、子供は親の言うことに従うべきだという規範もない世界で、息子と向き合って明快な感情で堂々と話ができることではじめて父親の威厳が示せるのではないでしょうか。
 ~明治時代の父親は息子の申し出を拒絶して、強そうに見えたかもしれませんが、彼らはそうしても息子の尊厳を失う恐れはなかったはずです。そうした環境にあったというだけの話です。~明治の父親が1人の生身の男として今の父親より強かったわけではないのです。

まず親が克服すること 第十章

 子供の成功で自分の社会的地位をあげようとした親は、子供を神経症に追いやるし、子供のために子供の成功を祈った親は子供が成功しなくても子供に自信を与えます。親自身が劣等感に悩んでいる限り、現実の子供を認め、子供を励ますことはできないのです。

特に印象を受けた二つを抜粋。
年配者も、大人も、子育ても常識に囚われずリセットしてもいいのかもしれない。

2013年5月17日金曜日

SNS中毒

ツイッターやフェイスブックやLINE、とっても便利なのはわかるのですが、お店を開く用に全て登録はかけているのですが活用できない自分がいたりする。初めて会う人にフェイスブックをやっているか聞かれたりする事も増えたな。

ここからは個人的な気持ちなので気分を害する人がいたらごめんなさい。

たまたま私の周りにパソコンと携帯の画面を行ったりきたりして仕事が手についてない人がいて、本人は仕事のフェイスブックをしているのだから仕事をしているつもりらしいのだけど、気持ちが集中してないので仕事全てが中途半端って人がいました。「いいね」の数をやたらに気にしている。仕事中の2/3の時間は画面とにらめっこしてコメントや内容を更新している時間でそれってどうなのかな?って凄く疑問だった。パソコンから離れると気もそぞろソワソワするからこの人はSNS中毒なのだと。

その人を見ていたら、きっと大手企業も新しい問題が発生しているのだろうなと思うのだよね。企業のフェイスブックやツイッターの担当は広報部にしようとか、広報部がない中小企業はどの部署にしようとか、持ち回りにするかとか。余計な事書いてないかとか批判を受けないようにチェック機関も必要になるだろうし、もしかしたら上長の承認制だったりするのかも面倒くさ~(妄想です)。

それから、フェイスブックやツイッターを読んでいるのが前提で会話やメールをする人が本当に増えた気がする。
この人が前日、先週、先月、何をやっていたかは私は知らない。でも知っている事を前提で話やメールをしてくるの。そうすると知らない私は聞き返さなければいけない。本来2回位のやり取りで済むメールが都度質問しなければいけないのでなかなか終わらない。これは疲れる。相手にしてみればフェイスブックやツイッターをやらない私がおかしいのだろうが…

私がブログをやっているからって、ブログを読んでもらった前提に話はしない。もしブログと話の内容が被ってブログで見たって話してくれたら、話を広げるし、ブログを見ていなければ、ブログと似たことを話すかもしれない。読む読まないは私の決める事でもないし、強制ではない。勿論、ブログを楽しんで頂けていると幸いなのだけど、フェイスブックやツイッターは日々どんどん情報が入ってくるのでしょ?脳みそはその情報処理を楽しんでいるのかどうか。私はおバカさんだから沢山の情報が常に入ってくると疲れてしまうんだよね。

顔を合わせて繋がるのが好きなアナログ人間の私はガラパゴス人間となってしまうのか?
ネットショップより対面販売したいのは、アナログ人間、ガラパゴス人間の傲慢なのか?

2013年5月9日木曜日

徳を積む

とく【徳】 By goo事典

1 精神の修養によってその身に得たすぐれた品性。人徳。
2 めぐみ。恩恵。神仏などの加護。
3 ⇒得(とく)
4 富。財産。
5 生まれつき備わった能力・性質。天性。

小さい頃、母方の祖母によく「徳を積みなさい」と言われたような、言われてないような。実際に「徳を積む」という言葉は辞書に載ってない。宗教的な言葉なのかな?

前世(過去)と現世(現在)と来世(未来)の関係

現世は修業の場で魂の向上の場である。って内容のサイトやら言葉やらが最近やたら入ってくる。マニアックな世界になってしまうので、要約すると…

前世の【不徳】は現世で【苦しむ】。
現世で【苦しむ】苦しんだだけ、魂は浄化されてステップアップした来世になる。
乗り越えられない苦難は与えられないので、必ず当人に合ったステージとなっているらしい。
そして努力して『徳を積む』ことで、またステップアップした来世になる。

『徳を積む』は何ぞや?
人を幸せにする。人に感謝される行為。(=無償の愛)

「感謝の心と恨みの想念」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~well0369/newpage7.html

「もっと あの世に聞いた、この世の仕組み」より
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/f2e53b8c0c2d53e06f66fa37f019674b


『人は自然と共にある』
『生きていくために必要なもの?』
『自分の知識や常識は絶対ではない』
『答えを見つけるのは自分』
『芯のある人』
『徳を積む』

2013年5月5日日曜日

自己中

お友達のブログに「自己中」って言葉があって、少し心に引っ掛かったのでブログに書いてみます。

自分に芯がなくて、周りを振りまわし、責任を取らない人が「自己中」。
自分に芯があり、自己責任で完結する人は「自己中ではない」。

と私は思うのですよ。

芯があるかないかは、自分の軸があるかないか、一貫性があるかないか、芯がぶれるかぶれないか。

右に行って、周りを振りまわし(巻き込み)、左に行って、周りを振りまわす(巻き込む)。右左いったいどっちなの!って振りまわされた(巻き込まれた)人は感じるよね。
かつ振りまわしたのに、嫌悪感や感謝や何の感情も生まれなくて、責任も感じない人、

=これが自己中。

だからお友達は「自己中」ではありません。断言します!


ちなみに「芯のある人」で検索したら

芯のある人=一貫性のある人=ブレない人=ポジティブな人=悩みの少ない人=決断できる人=迷わない人=応援される人

素敵な魅力的な人になる。「芯のある人」に少しでもなれるよう私頑張りま~す!


『人は自然と共にある』
『生きていくために必要なもの?』
『自分の知識や常識は絶対ではない』
『答えを見つけるのは自分』
『芯のある人』

2013年4月21日日曜日

ヒント

世の中には沢山のヒントがあって、それは本やテレビやラジオや、家族の言葉、ご近所さんの言葉、お友達の言葉、先生の言葉、職場の人の言葉、宗教の解釈の言葉、インターネットのサイトの言葉、溢れかえっていますよね。

ラジオCMで素敵な言葉を言っていて感動したり、はっとさせられたり。


昨日のエゴと繋がるけど、

こうである。
こうでなければいけない。
こうしなさい。

いくらすすめられても、その言葉は自分にとってヒントなだけで答えではない。


答えを求めてすすめを鵜呑みにする人もいますが、人に答えを求めると依存になりやすいので注意。もし答えが間違えていたら、攻撃や責任回避するでしょ私が言ったのでないって。答えを求めたのは私なのに責任転嫁。

ヒントを求めてヒントに耳を傾けて、理解する。ヒントから自分の答えを見つけて人に話す時は、責任持って、万が一間違えていたら素直に謝る。この方がずっと心は楽な気がします。


とは言っても、マスコミのニュース報道、CM、音楽にも偏った誘導や洗脳があって、洗脳された人達の言葉があって、偏ったヒントも溢れているけど、ドンピシャなヒントも溢れていて、何が正しいのかは自分の知識を深めるしかないのですよね。無職ですが日々勉強に励んでおります(笑)

淡路・三宅・宮城 偶然なのか?必然なのか?
写真は Kazumoto Iguchi さんのブログから
http://quasimoto.exblog.jp/
ちょっと強めの発言ですが検証もされていたりヒントになります。

『人は自然と共にある』
『生きていくために必要なもの?』
『自分の知識や常識は絶対ではない』
『答えを見つけるのは自分』

2013年4月20日土曜日

エゴ

とても種や土壌や農法にこだわった良質な美味しい食材があったとします。

その素晴らしい食材を、私はとても美味しいと感じたとして、お友達に知ってもらいたい、おすすめしたい、使ってもらいたい、って気持ちが湧きます。

後日お友達にその食材の話をします。

お友達がその食材が好きでなかった場合、お断りするかもしれません。
お友達がお腹いっぱいだったりしたら、話しは盛り上がらないかもしれません。
お友達が大好物で食材を購入し共感してくれるかもしれません。
お友達が給料日前で金銭的に余裕がなかったら、さらっと流されるかもしれません。

お友達の反応により、食材の良さを分かってもらえないと理解したら、私の心はどう感じるのでしょうか?

最近、この様な状況をよく見聞きします。
「すすめる・勧める・薦める・奨める」
次のテーマな気がしてます。


私の考え、私の意見を理解してもらえない、共感してもらえない、もしその時に苛立ち、腹立たしさ、怒りが込み上げてきたとしたら、それは「エゴ」なのではないでしょうか?

<意味>By goo辞書
エゴ(ego):
1 自我
2 エゴイズムの略
3 エゴイストの略

エゴイズム(egoism):
1 自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式。利己主義。
2 哲学で、自我だけが確実に存在し、他は一切認識不能であるとする説。唯我(ゆいが)論。独我論。

エゴイスト(egoist):
1 利己的な人。利己主義者。
2 エゴイズムを信奉する人。主我主義者。唯我(ゆいが)論者。独我論者。

利己主義:
社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方。また、他人の迷惑を考えずわがまま勝手に振る舞うやり方。エゴイズム。


すすめてる人は悪気があるわけではなく、愛だったり正義感だったり使命感をもっていてすすめているのだけど、他人の気持ち(利益)は考えない思考や行動の様式 になってしまうと、聞いている方は苦しくなってくる。この匙加減は結構難しいな~と感じる今日この頃。


自分と同じ意見や考えの人もいれば、そうでない人もいる。育ちも、生活習慣も、体型も、経験も、食生活も、性格も、体力も個々違う訳で、一緒に育った兄弟ですら生活も価値観も意見も違う。
頭でっかちになって自分の知識や常識が絶対にならない様、気をつけよう。


『人は自然と共にある』
『生きていくために必要なもの?』
『自分の知識や常識は絶対ではない』


別件ですが、去年の今頃に自己流で勉強していた韓国語。韓国ドラマも結構見ていたのですが、今年から録画を止めました。何故かというと、何本か韓国ドラマを見ているとパターンがあることに気付いて、見れば見るほど心が苦しくなるスパイラルに陥ってしまったから。

①お金持ちと貧乏の貧富の差が半端ない
②恩を売ることが多い
③見栄・プライド・面子 が激しい
④色んな関係が支配的

たまたま見ていたドラマが苦しかったのかもしれないし、全部が全部ではないと思うし完全に私の主観なんだけど、日本のバブル期ではないけどお金で心は買えないし、売った人は心を無くしてしまいそう。もしドラマの世界が当たり前の世界だったとしたら韓国の人は苦しいだろうな。


2013年4月15日月曜日

心の声

買い物にスーパーやディスカウントショップやドラッグストアーに出かけ商品を見ていると
『生きていくために必要なもの?』
って心の声が聞こえてくる。

そうすると吟味して買っていた物も今まで以上に深く考えて買わなかったりする。
宇宙からしてみたら私はちっぽけな人間。(千葉の)広大なドラッグストアの真ん中に立って、自分に必要な物を探してみるとほとんど見当たらない。必要ないものが溢れているのか、自分が必要なものを選んでいるからか、ドラッグストアでちっぽけな自分を体感。

『人は自然と共にある』
『生きていくために必要なもの?』

次はどんな言葉がでてくるのだろうか。